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zoom RSS 千葉市の散歩道 〜観音寺と花見川コース〜 を巡って

<<   作成日時 : 2011/09/18 07:00   >>

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画像千葉市地域振興課の編集発行した 「千葉市の散歩道 」 の gG 「 観音寺と花見川コース」 を参考にして、御成街道にある六十六部供養塔、馬頭観音碑、道標などを見た後、花島公園、天福寺、花島橋と巡ってから、さらに花見川沿いの遊歩道を散策した。(9/11)



JR総武線新検見川駅北口から京成バス「いきいきプラザ」行きに乗車して、花島入口バス停に向った。

花島入口バス停は、主要地方道 69号(長沼船橋線) 別称 「御成街道」 にある。 この御成街道は、徳川家康の東金方面での鷹狩にあたり、佐倉藩主 土井利勝が船橋と東金に至る約 37qの直線道路を短期間(12/12〜1/7)で急造したものといわれている。

花島入口バス停に降りると、近くに 六十六部 (通称 六部)が建てたという 供養塔 (写真 A) があった。
この供養塔の正面には、「天下泰平・国土安全・奉納大乗妙典六十六部供養塔」 とあり、側面に 「宝暦13年癸未年願主二月吉祥日」とある。 この意味することは 「徳川10代将軍家治の宝暦13年(1763)に、白衣に六部笠を頂き、仏像を背負うて 鐘・太鼓を鳴らしながら全国 66ヶ国の霊場をめぐりながら修行していた六部が、大乗妙典中の特に法華経一部をこの地に埋納して、人々の死後の冥福をねんごろに弔った記念碑である。」 とコース案内書に解説されている。

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この供養塔の直ぐ近くには、大きな 道標 (写真 B) がある。 これは 明治14年9月の建立で、正面に「花嶌山正観世音」、右側面に「是北観音堂八町」、左側面に「西ふなばし道」とある。

道標のある場所から北に約 200mほど進むと、Y 字路の分岐点に 馬頭観音碑と庚申塔兼用の道標 (写真 C) などがある。 馬頭観音碑については 「昔は馬が最良の乗り物であり、物資の運搬にも農耕にも使われていたので、愛馬の死を悲しみ、手厚く埋葬して馬頭観音像や馬の絵を刻んだ石碑を建てて供養した。」 と、また庚申塔については 「60年目にめぐり来る庚申の年の庚申の晩に庚申様を祀って徹宵供養し、家内安全を祈願した記念碑である。」 と解説している。

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この庚申塔の碑には、右側面に「此方花島柏井臼井みち」、左側面に「此方けみ川道此方おわだ道」 と刻まれており、道標も兼ねている。 ( 注 : 千葉市の散歩道 「観音寺と花見川コース」 案内書を参照しました。)

この後、花見川探鳥会の集合場所の花見川団地 ・中央公園に向った。 前記した馬頭観音碑と庚申塔兼用の道標がある場所から約1.4qほど、花見川団地の中ほどを通って中央公園に到着した。 10時ごろになると空模様が俄に怪しくなり小雨が降り出し、間もなく雷雨となった。 天気予報では それ程悪い予報ではなかったので暫らく公園内で雨宿りしたが、止みそうにないので花見川探鳥会は中止となった。

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少し小降りになったところで、近くの花見川図書館 (花見川団地分館)でしばらく読書を楽しむことにした。

暫らくして外を見ると小雨も止んでいたので、千葉市の散歩道 「観音寺と花見川コース」の続き 〜 花島公園、天福寺、花島橋、さらに花見川遊歩道へ 〜 向うことにした。 花見川図書館から約 600mほど南下すると花島公園、この時期 目に付くのが渓流園に咲く様々な色の ヒガンバナ (写真 D) が美しい。 さらに下流にある谷津池へ進むと、アオサギ (写真 @) が水中の獲物を狙っているのが見られた。

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谷津池から 中島池 (写真 E) へ。 この池の全面を スイレン と 大賀ハス の葉が覆いつくしているかのように見え、池端にある杭には マガモ と カルガモ (写真 F) が数羽見られた。 中島池から 花島山天福寺(花島観音)の山門 (写真 G) を通り、花見川沿いの花島観音緑地、花島橋 (写真 H)、さらに花見川遊歩道(サイクリング道路)に出た。

今日は、花見川沿いの下流に新たに整備された花島公園 ・川辺憩いの広場方向へ向うことにした。

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花見川遊歩道に出て間もなく平成20年頃?開園したという花島公園の「川辺憩いの広場」には、遊戯広場と芝生広場が整備されていた。 さらに進むと、花見川大橋、続いて天戸大橋、ここまで来たら もう少し下って以前歩いたことのある神場公園の手前から東側に進み、JR総武線稲毛駅と新検見川駅への京成バスが出ている 「さつきが丘団地」バス停まで歩いた。

備考 : 岩波書店発行の広辞苑では、 「六十六部とは、書写した法華経を全国六六ヵ所の霊場に一部ずつ納める目的で、諸国の社寺を遍歴する行脚僧。 鎌倉末期に始る。 江戸時代には俗人も行い、男女とも鼠木綿の着物に手甲・甲掛・股引・脚絆も同色のものを用い、死後の冥福を祈るため鉦(かね)を叩き、鈴を振り、あるいは厨子を負い、家ごとに銭を乞い歩いた。」 とあった。


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